タイムマシーンはこないし、空飛ぶ車もこない
代わりにやってきたSNSとネットショッピング。これが未来?
タイムマシーンはこない。って歌がありましたね。そんな歌を歌ってました。
他にも、空飛ぶクルマとか、月旅行とか、巨大ロボとか、都市の上空を走る透明なチューブとか、誰も働かなくていい世界とか、意味もなく光る機械とか、そういうの、きてませんね。なんででしょうか。イノベーション、ってやつの問題でしょうか。
イノベーションというものにそりゃまぁ昔から関心はある。だからスタートアップにいてPdMなんて因果な商売をやってるのです。自由なイノベーション。なんか言葉としてはものすごく雑で、スタートアップの採用ページとか、自治体のピッチイベントとか、なんとかアクセラレーションプログラムのLPに書いてありそうな言葉ではあるのだけど、ここで言いたいのは、そういう「イノベーションを起こしましょう」みたいな、いちばんイノベーションから遠そうな話ではない。
イノベーションという言葉は、いつのまにかなんやかんや「役に立つ改善」ぐらいの話になってしまった。これぞ、というアプリが出たとしても、結局話題は売上が伸びる、ユーザーをより長く滞在させられる。とかだよな、SNSとかも。なんならいまんとこではあるが生成なんちゃらもそうですよね。ビジネス的には。もちろんそれはすごい。めちゃくちゃすごいし、現実に必要でもある。
人類はたしかに進歩した。ものすごく便利になった。スマホもある。SNSもある。生成AIもある。クラウドもある。SaaSもある。ダッシュボードもある。ワークフローもある。権限管理もある。ログも残る。監査もできる。最適化もできる。だいたいのことは可視化される。
便利ではある。めちゃくちゃ便利ではある。
でも、これは本当に未来なのだろうか、と思うときがある。未来というより、管理の完成なのではないか、と思うときがある。
シリコンバレーのインターネット革命も、最初はもっと自由なものに見えた。Webは中央集権を壊すはずだった。誰もが発信できるはずだった。国家や大企業に回収されない、自由なネットワークが生まれるはずだった。少なくとも、そういう夢があった。
でも結果としてWeb2が生んだものは、かなり中央集権的だった。巨大プラットフォーム。広告最適化。アテンションの収奪。アルゴリズムによる行動制御。レコメンド。モデレーション。利用規約。本人確認。BAN基準。インプレッション。エンゲージメント率。
自由は生まれた。これは間違いない。個人が発信できるようになった。遠くの人とつながれるようになった。マスメディアを通さずに声を出せるようになった。それは本当に大きなことだと思う。でも同時に、その自由は、巨大な管理機構のUIとして提供されるようにもなった。
自由のための技術は、すぐに統治のための技術になる。
『官僚制のユートピア』(デヴィッド・グレーバー)という本があるのだけど、とても面白いのでおすすめです。
何が面白かったかというと、官僚制という、一見するとかなり退屈で、書類で、手続きで、ハンコで、なんなら人間の生気を奪うために存在しているようなものが、実は現代社会のかなり深いところで、私たちの想像力そのものを形作っているのではないか、と思わされたところである。
この本でグレーバーが言っていることをかなり雑にまとめると、官僚制とは単に「役所が面倒くさい」とか「会社の申請フローがだるい」とか、そういう話ではない。もちろん、それもある。めちゃくちゃある。あるのだけど、それだけではない。
官僚制とは、世界をルールと手続きで処理可能なものにする仕組みである。誰が見ても同じように判断できるようにする。例外を減らす。裁量を減らす。現場での判断を減らす。人間のあいまいさや、めんどくささや、よくわからなさを、整理してフローに分解していく。
それはある意味で、とてもありがたい。だって、全部が人間の気分で決まる社会はかなり怖い。担当者の機嫌で人生が変わる、権力者の恣意で財産が奪われる。そういう社会よりは、ルールがあり、手続きがあり、誰でも同じように扱われる社会のほうが、基本的にはよい。だから私たちは官僚制を嫌いながら、同時に官僚制にかなり安心している。ここがややこしい。
官僚制は嫌いだ。だるい。面倒くさい。人間をバカにする。現場の知恵を奪う。想像力を殺す。でも同時に、官僚制がない世界も怖い。だから私たちは、官僚制を憎みながら、官僚制を愛している。
グレーバーは、官僚制を単に「悪いもの」として叩くのではなく、官僚制がなぜこんなにも強いのか、なぜ人類がここまで官僚制に引き寄せられるのかを説明してくれてます。官僚制は、人間が愚かだったとしても成立する仕組みを作る。現場の人が自分で考えなくてもよいようにする。マニュアルに従えばよい。フォームを埋めればよい。チェックリストを通せばよい。判断しなくてよい。責任を持たなくてよい。なぜなら、それは「ルールだから」。愚か万歳。それはちょっと愚かな人類には嬉しい福音。
そしてこの「ルールだから」は、しばしば暴力と結びつく。ここでいう暴力は、殴る蹴るだけではない。強制力である。従わないなら罰がある。つまり官僚制は、表面上はとても平和で、穏やかで、合理的で、スプレッドシートっぽい顔をしているのだけど、その背後には常に「従わないならどうなるかわかってるよね」という力がある。
だから強い。そして、この強さが、想像力をかなり深いところで縛る。
というところで、話は冒頭につながる。空飛ぶ自動車の話である。なぜ空飛ぶクルマは来なかったのか。なぜ月旅行は日常にならなかったのか。なぜ子どもの頃に想像していたような未来は来なかったのか。
これは単に、技術的に難しかったから、という話ではない。もちろん技術的には難しいのだろう。でも、それだけではない。
未来っぽい技術、つまり空飛ぶクルマや宇宙旅行や労働からの解放につながるような技術への投資ははやらなくなって、そのかわりに、労働を管理する技術、効率化する技術にお金と才能が流れていった。
要するに、未来を作る技術ではなく、現在を管理する技術が伸びた。なんでか?みんな実は官僚制が大好きなんですね。
ここでさらにややこしいのが、資本主義、新自由主義的なものの話。お金的なものは、一見するとアンチ官僚的。いわゆる、小さな政府。規制緩和。市場の自由。民間の創意工夫。
そう、スタートアップ界隈にいると腐るほどきく、「イノベーション」。破壊的創造。既存の制度を壊せ。大企業や国家のお堅い保守的な制度をだしぬけ。かなり反官僚っぽい。
でも、実はそうではない。こういう「イノベーション」は、官僚制をなくすどころか、エンパワーさせている。たしかに、お国のお堅い官僚制が減って、民間が元気になるところはある。でも結局民間企業はこのイノベーションで、プチ官僚主義になってるわけです。ビッグテックもそうですよね。コンプライアンス、契約、監査、評価、KPI、リスク管理、プラットフォーム規約、アカウント管理、本人確認、法務レビュー、セキュリティチェックが増える。
官僚制が消えたのではない。官僚制が民営化され、分散され、UI化されたわけです。
これを考えると、シリコンバレー的イノベーションがなぜ空飛ぶクルマではなくSNSだったのかという話につながる。
SNSは、たしかに自由を生んだ。でも同時に、人間の行動を数値化し、最適化。誘導し、広告に接続し、管理する構造を作った。それは反官僚制の顔をした、ものすごく高度な官僚制ってわけですよ。
これは、たぶんある程度仕方のないことでもある。私たちは、未来を作るよりも、空飛ぶ車を作るよりも、現在を管理することに賭けた。夢を見るよりも、リスクを減らすことに賭けた。遊ぶよりも、最適化することに賭けた。詩よりも、KPIに賭けた。
官僚制の民主化こそ、不確実性を下げる最高の「イノベーション」だった
現代は不確実性の時代ですからね。資源は相変わらずたりてないゼロサムゲーム。戦争もある。そんな世界で、空飛ぶクルマを夢見ることは、まぁ子供の戯言です。月に行ってる場合か。それよりインフラです。そして国家防衛だろう。生産性をあげなきゃ。かなり正しい。
正しいのだけど、正しすぎる。
空飛ぶクルマとか、月旅行とか、巨大ロボとか、そういう「来なかった未来」は、完全に消えたわけではないと思う。それは、ガスの中に残っている。ヴェイパーウェイヴとか、レトロフューチャーとか、90年代、ゼロ年代、古いゲームの起動画面、古い商業施設のネオン、廃墟になった未来都市、古いSFの表紙、初代PlayStationみたいなポリゴン、深夜のサービスエリア、誰もいないショッピングモール、そういうものの中に、来なかった未来の残響がある。
ここ数十年、根深くはやりつづけてるY2K的な、90年代的なイメージ。
これらは単なる懐古ではないと思う。というか、単なる懐古だったら、たぶんここまで刺さらない。これはようは、未来への未練なのだと思う。本当は来るはずだった未来。だけど来なかった未来。技術的には進歩したのに、なぜか魂としては失われた未来。
そういうものへの未練が、ネオンやガスや低解像度のCGや古いシンセの音の中に漂っている。レトロピアというか、未来が過去にしか存在しなくなった感じ。
私たちは、こういった空気感をエンタメとして摂取しなんとか、大人として、目の前のKPIと向かい合いながら、パソコンに向かっている。
…では、どうすればいいのか?これでいいのか?結論はなんだ??
まあ、そんな未来が本当にいるのか、という話ではある。空飛ぶクルマ、いる?月旅行、いる?巨大ロボ、いる?誰も働かなくていい世界、いる?別にいらないのかもしれない。役に立つかどうかで言えば、いらないものも多いのかもしれない。
ただ、いる、いらないではないのかもしれない。
だって、わくわくすることはいいことだから。いいことですよね?
ここを忘れると、かなりまずい気がする。人間は、便利なだけでは生きられない。安全なだけでも、効率的なだけでも、正しいだけでも、たぶん生きられない。わけですよ。
人間には、かっこいいものが必要である。意味がわからなくても、無駄でも、危うくても、なんでそんなものを作るのか説明できなくても、それでも見た瞬間に「うわ、いい」と思うものが必要である。必要なんですよ!!!!
空飛ぶクルマに憧れたのは、便利だからではないと思う。いや、便利でもあるのだろうけど、たぶん本質はそこではない。かっこいいからである。月旅行に憧れたのも、コスパがいいからではない。かっこいいからである。巨大ロボもそうである。都市の上空を走る透明なチューブもそうである。意味もなく光る機械もそうである。かっこいい。以下略
本当は、それで十分だったはずなのだ。
グレーバー曰く、現代は「官僚制のユートピア」ということらしい。そこに住みながら、官僚制に魂まで渡さない方法があるとすれば、それは「かっこいい」をもう一回ちゃんと信じることなのかもしれない。
生産性を上げるためだけに生成AIを使うのか。業務効率化のためだけにプロダクトを作るのか。KPIを改善するためだけにイノベーションを語るのか。もちろん、それはやる。やるのだけど、それだけではない。
なら、かっこいいことをやるしかない。霧の中に未練がましく立って、来なかった未来の残響を眺めるのも悪くない。ヴェイパーの中で、ありえたかもしれない未来を味わうのも、かなりよい。私もそういうのが好きである。でも、そこで終わる必要もない。霧を取り払って、今この瞬間に動けばいい。
役に立つかどうかは大事である。でも、それだけでは足りない。正しいかどうかも大事である。でも、それだけでも足りない。自由なイノベーションに必要なのは、たぶん「これは役に立つ」ではなく、「これはかっこいい」と言い切る力なのだと思う。
タイムマシーンは来ない。空飛ぶクルマは、まだ来ていない。だから、まだ間に合う。



